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映画『アジアの天使』

『アジアの天使』はカタピシしていた出だしがだんだん落ち着いてきて、恋愛ドラマに収れんしていく映画。
一応「アジアの天使」が登場するので、看板は偽っていはいない。しかしでこぼこ感はずっとつづくので、ふさわしい題名は何だ、とか、三題噺ではないだろうか、とか、没入しきれないで観てしまうきらいはある。
主役の池松壮亮は感情を爆発させる場面は違和感があった。いづれも主題(たぶん他者を大切にする愛情)とは関係ない場面だったので主人公のエキセントリックさを強調するだけに終わった。
オダギリジョーは、(おそらく)アドリブのシーンでハシャギ過ぎが鼻についた。
一方韓国の俳優はいづれも見事で魅力があった。
しかし、ガタピシした感じはやがてこの映画の豊な可能性として余韻を残していく。
ストーリーは日本人の兄弟が、韓国人の家族とたまたま同じ列車に乗り合わせて、その墓参りについていくというもの。連れの子どもがオシッコをしたくなったり、韓国人のヒロインがお腹が痛くなったり、韓国人のおばさんの家で歓待されたりする。途中ヒロインが 所属する芸能プロダクション社長とのつらいエピソードが入ったりする。
いちおう映画の社会性を担保する骨組みの要素(妻の死、悪徳芸能プロ社長、つらいソウルでの生活)は入っている。
しかし、映画のメインの旅自体には、韓国の家族の側にも、日本人の側にも、理由も必然性もなかったことが明かされる。
だから、出来事の断片をつなぎ合わせた、だけ、という痕跡をのこしつつ、じつはこれこそが映画の隠れたテーマだったりする作品だ。
そういういみでは、オダギリジョーのハシャギ過ぎのアドリブは、映画全体の意味を暗示している。
唐突なお笑い芸人のような天使ももう一つの隠れたテーマだ。
誤解を恐れずに言えば、出たとこ勝負を力業でまとめあげた映画、と言えると思う。ここには洗練はないが、可能性はたしかにある、という意味で、観た後、腑に落ちた。

(h.s)

©hiroshi sano

監督 石井裕也
公開 2021年7月

 

評価
4/5

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