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  • 映画『旅と日々』

    映画『旅と日々』

    映画『旅と日々』
    (C)2025「旅と日々」製作委員会

    頭の体操 映画『旅と日々』

    おおまかにこの映画は二つのパートにわかれている。

    前半が河合優実が出る若い二人の海での物語。

    後半は脚本家役のシム・ウンギョンが旅に出て山奥のさびれたベッドアンドブレックファストにたどり着く物語。

    さて、ここで頭の体操。前半部分の最後は雨の海と河合優実のアップになっているが、最後の最後にもうひとつカットが隠されているとしたらそれは何でしょうか。
    正解(私の妄想)は、海岸で雨に濡れそぼつカラスのカット。

    では、後半の最後はなにか。
    現在はシム・ウンギョンが雪上を駅に向かって歩いていくシーンだが、正解(私の妄想)は足跡にポトリとボールペンが落ちるカット。

    尻切れトンボを糊塗するような長いカットは「エンド」にはならない。他にも長いカットがいくつもあった。

    一方、得難いハッとするようなシーンもいくつかある。
    山奥の宿に警官がやってきて宿主とかわすやりとり。おもしろい。
    宿主の堤真一もよかった。

    シム・ウンギョンが韓国から日本にやって来た当初は言葉から自由になっておどろきやおそれに直面するがやがて言葉に追いつかれて取り込まれる、と述懐するシーン。

    つれあいにさそわれて前知識なしに観たので、つげ義春原作ということも知らなかった。不条理の話が不条理に終わるのもつげの物語の面白さではあるが、映画なのだから映画らしくもっと面白くしてほしかった。

    映画の最後に「旅と日々」とタイトルが出て終わったときには、えっ、長い前置きのあとにこれから本編がはじまるのではないの?、とマジ思った。

    つげは偉大ではあるが、踏み台にしてさらに偉大な物語をめざす心意気があってもいいのではないか、と思った。

    (by みとまと in note)

  • 映画『プレデター バッドランド』

    映画『プレデター バッドランド』

    (C)2025 20th Century Studios. All Rights Reserved.

    映画『プレデター バッドランド』

    おもしろい映画だった。

    主人公があのプレデターだから、ヒク人がいてもうなずける。

    だが、けっしてグロではない。

    前半にキュートな女性アンドロイドが出てきて不思議な味をだしている。

    舞台は未来であるようだが、太古のジャングルが出てきたり、怪獣と戦いぬいたり、宇宙ものであったりと多様な要素をうまく絡み合わせている。

    そして、ストーリーの展開も、どこかで見たようなストーリーをそこここに組み合わせて流れていくが、二番煎じ臭さがないのが、不思議でありおもしろい。

    女性アンドロイドは下半身がない状態でプレデターと出会うが、それが最後の最後のシーンでの「下半身」の活躍につながって楽しめた。

    形容が難しいが、すでに我々が知っているいくつものファンタジーを上手に織り込んでたくみに一本のストーリーに完成させてつくられている。
    たしかにプレデターが主人公なのは、いかがなものか、と躊躇するが、ソフトハード両面の高度な技術を組み合わせてできた良質のSFといえるのではないだろうか。
    プレデターにおちゃめな側面を付与することが出来たことだけでも賞賛にあたいするかもしれない。

    (by  みとまと note)

  • 映画『爆弾』

    映画『爆弾』

    映画『爆弾』

    評判は悪くないようだが、はたして評判どおりだろうか。

    佐藤二朗はわるくない。よくもわるくも佐藤二朗は佐藤二朗、を押し通していた。

    ただ全体的に長すぎる(多分理由があるのだろう)。

    ストーリーを大まかにいうと、のらりくらり謎かけスタイルで犯行をほのめかす佐藤に対して入れ替わり立ち代わり3人の刑事が交代して事件の真相を追求していくというもの。

    映画の構成を考えるうえで、仮に、全体を6つに分けて、それぞれに佐藤というカードがあるとする。

    一枚目と2枚目の佐藤のカードの間に入るのが、所轄の刑事の染谷将太だ。佐藤を尋問するが、霊感による爆発の予言だという佐藤の主張をくずせずに、担当から外されてしまう。役柄としては前払い的な脇役だが染谷なりの存在感を発揮していて悪くない。

    2枚目と3枚目の間に入るのが渡部篤郎だ。渡部は本庁からやって来た幹部刑事の役で、やや年配で深みのある人物。佐藤との謎かけのやりとりも抑制を利かせてうまくこなしていて、見ている側もはらはらする。普通なら退屈になりかねない部分だが、渡部の演技は出色だと感じた。映画全体をとおして、MVPを献上したい。

    そして、3枚目と4枚目の間にはいる刑事が、渡部の部下で謎解きが得意の変わり者の山田裕貴だ。自信過剰の薄っぺらな人物になってしまっていて、本当はどうも、悪を内包する深みのある役らしいが、それが伝わらずに終盤にむかってしまう。映画『爆弾』はここに不発弾一個を抱えてしまった。

    さて、4枚目と5枚目にはなにが入るのだろう。それは、真犯人役の片岡千之助だ。本来は映画の構成上説得力のある動機がここで明かされなければならないが、ほとんどない。というか、監督の計算違い(あるいは計算通り?)なのか、犯人の存在感が吹けばとぶような薄さだ。

    そして、5枚目と6枚目の間に入るのが、犯人片岡千之助の母親役で、佐藤ともつながりがあり、所轄署に拘置されている佐藤を殺そうと爆弾を持参する夏川結衣だ。これも不発だった。

    東京全域爆弾注意報とでもいえるシチュエーションサスペンスだが、あえて佐藤と周囲の登場人物との心理劇に軸を移してしまったのだろうか。

    だとしたら、佐藤と夏川との間で起きた出来事を説明したら、佐藤のどす黒い闇がきっと見どころになった印象深い映画になっただろう、と思った。

    note みとまと より転載)

  • 映画「愚か者の身分」

    映画「愚か者の身分」

    愚か者の身分
    (C)2025映画「愚か者の身分」製作委員会

    映画「愚か者の身分」

    オモシロイ!一級のエンタテインメント。監督は永田琴。

    監督の力量が半端ないのが全編息をつかせず見せられるので明白。

    俳優もいい。特に誰というより、北村匠海、林裕太、綾野剛の3人のコンビネーションがいきいきとしている。

    脇役もいい。どれもいいが、木南晴夏の役を要所要所で強調しているのも映画にあたたかさを与えている。

    ストーリーがいい。逃亡劇ではじまるどんでん返しがあるが、そこにいたるまでの時間の組み換えが嫌味なくわかりやすくごく自然で小気味よい。

    若者への思いがテーマとしてあるようにおもえるが、テーマ自体の重みを感じさせない。主人公たちの生きる苦しみの感触は伝わってくる。

    テーマ、ストーリー、演技の絶妙なハーモニーでエンタテインメントとしてのマジックが成立した、とでもしか形容の仕方がない。

    やくざ、女、だまし、と三つそろえば、いままでなら、性の搾取がテーマの一つになりそうだが、それが全くないのも、稀有なおもしろい映画になった、という点もオモシロイ!

    映画館へ急げ!

    (note みとまと より転載)

  • NANO BANANAはここがスゴイ!

    NANO BANANAはここがスゴイ!

    画像AIナノバナナの凄さに驚愕する!

    ついにここまで来たか、と驚愕した。

    プロンプトに忠実、しかも仕上げは誰がみても満足。

    Photoshopも蒼ざめる力。となれば、はやばやとPhotoshopはいかにコストがかかろうとも敵を取り込んで自分の味方にしたのは賢い策だ。

    今のところナノバナナは無料で利用できる。

    使ってみた顛末をYoutubeにしたのでリンクを貼っておく。

  • 素人が出来たスズメバチ退治の顛末

    素人が出来たスズメバチ退治の顛末

    素人が出来たスズメバチ駆除
    スズメバチの巣撃滅作戦

    素人が出来たスズメバチ退治の顛末

    家の生垣にスズメバチの巣が出来た。
    人に言われて気が付いた。
    ある時期、急速に大きくなるらしい。

    困った。
    業者に頼むことも考えたが、スプレータイプで自分でやってみることにした。

    もちろん暗くなってからの作業だった。スズメバチは敵に襲いかかってくる。明るい昼間だとこちらを認識されてしまう。
    なので、夜十時ころ決行することにした。

    用意したのは市販のスプレータイプ。とくにスズメバチの巣に特化してある商品。ジェット噴射で距離を置いて噴射できるもの。

    ところが困ったことに、その時刻暗くなかった。
    むかいに街路灯があってかなり明るい。
    躊躇したがやるしかない。

    家人や客が襲われたらこまる。
    防御のために厚手のレインウェアなども用意した。

    そこで決行。
    結果的に街路灯があってラッキーだったかもしれない。
    びっくりしたスズメバチは一直線に街路灯の灯りめがけて飛んで行った。
    でも噴霧された薬剤をあびてすべて路上に落下した。

    巣に気づいてから駆除の決行まで三日間。
    薬剤を検索したり、防御を考えたりで決行まではドキドキの連続だった。
    でも、こんな機会はめったにないので、YouTube用に撮影することにした。
    よかったらリンクを貼るのでみてください。

    言い忘れたが、薬剤は成虫に効く。その効果たるや瞬殺レベルなので十分に信頼できると思う。
    ところが、幼虫とサナギには効かない、と説明に書いてある。
    事実、巣の中のでは幼虫は動いていたし、今にも飛び出しそうな羽化しかけのサナギもいた。

    (Note より転載)

    https://youtu.be/wUXgr7gZtx4

  • 横浜ワードプレスミートアップへのお誘い

    横浜ワードプレスミートアップへのお誘い

    横浜ワードプレスミートアップへのお誘い

    プロモーション映像をYouTubeにアップしました。

    https://youtu.be/_6c8X6wA3IQ

    モックアップ用

    https://youtu.be/tnpCns-xSkg

  • 映画『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』

    映画『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』


    映画『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』

              (C)BROUHAHA LEE LIMITED 2023

    ある意味男にとってはつらいメッセージもこめられた戦争映画。とここまでが通り一遍の感想だが、映画を見たあとに実物のリー・ミラーを知るとこの感想が瓦解する。


    まず、本人は超美人!映画の主役ケイト・ウィンスレットを凌駕する。
    ただ、ケイトの名誉のために言えば、リー・ミラーの写真はどれもモデルっぽいし(戦場でのリーも含めて)、そして白黒なので、美的な様式の中におさめられていてある意味ブロマイド。
    それに対して、ケイト・ウィンスレットはリアリティーを追求したであろうカラー映像のなかの戦場を駆け回る文字通りの汚れ役。

    美しさだけではない。本人リー・ミラーを形容するのに「型破り」という言葉がなによりもふさわしい。元モデルでもある自由な発想の写真家、そして戦場リポーター。
    映画がひたすらシリアスさを強調するのに対して、本人リー・ミラーの「型破り」にはそれを突破する力強さがある。

    シリアスさを突破するとはどういう意味なのか。どんな悲惨な状況にも光をみていたのか。そんなことを反面教師的に感じさせる不思議な映画だった。


  • 映画『トラップ』

    映画『トラップ』


    映画『トラップ』

    ナイト・シャマラン監督の映画を好きで観るひとは多いと思うが、私もその一人でほとんどを見ていると思う。彼の映画はミステリーの底流の上に恐怖の味付けがあって、最後に種明かしのカタルシスがあるという展開だ。それぞれの段階での映像や演出が巧みで、ぐいぐい引っ張られてエンディングにたどりつく。私はこの快感が好きだが、全体の整合性をもたせるためでもあるが、途中に複雑な展開があって、そのあたりで納得しない人は、映画を高く評価できなくなるかもしれない。

    観客の立場では、次にどんな展開なのかワクワクしてみていくわけだが、映画を俯瞰の位置から距離を置いてみてみると、がぜん予想しない構図が浮かびあがってくる。

    それは騙しの構図だ。イントロの部分がすでにだましであって、それがいかに巧みかが、その後の展開の面白さにつながるわけだが、それが今までどの映画でも成功しているし、そこにシャマラン監督の真骨頂があるともいえる。
    そしてこの映画についてネタバレ的にだましの構図について語りたくなるわけだが、それは、もうちょっと先のことにして、まずは、筋道について述べてみよう。

    映画のテーマは父親の娘に対する親子愛である。このあたりで、すでに私の口元がゆるんで、うっかり本質を語りたくなるが、まずは、この父親が残虐な殺人鬼であり、最後の殺人が進行中であることも述べておきたい。娘はこのことについては全く知らないし、普段は消防士らしいこの殺人鬼は、なにごともなく妻と二人の子どもたちとで、普通の家庭をアメリカらしい中流の住宅地で営んでいる。
    映画は、娘にせがまれて父娘二人で、人気歌手のレディー・レイブンのコンサートに行くところから始まる。巨大なアリーナにつくとそこはすでに娘と同年代の観客とその保護者たちでうまって息詰まるほどだ(このあたりは、撮影のスケールの大きさと演出の巧みさに感心させられる)。同時に、多数の警官がアリーナの周囲とすべての出入り口を固めている、だけではなく、あやしい観客のひとりひとりを呼び出して尋問しているようだ。父親はどことなく気になるが、しかし、まだ何が起きているのかは知らない。

    コンサートはレディー・レイブンの闇からの印象的な登場ではじまる。見事な振り付けのダンスと響き渡る楽曲に、ティーンエージャーたちが、熱狂するなか、警官の取り調べが途切れることなく進行するにしたがって、父親は追い詰められていくような気持ちになる。

    見事なのは、心理的に追い詰められる父親の表現と同時に、殺人鬼としての残虐な複数の犯行がフラッシュバックで挿入され、観客の恐怖心も掻き立てていく点だ。実際の犯行は見せないで、示唆だけで、恐怖心を駆り立てる。シャマラン監督流の心理操作というか第一の得意技がここで発揮される。

    そして、ついに、父親は、この広いアリーナを閉鎖して捜索されているのが殺人鬼である自分であることを、アリーナでグッズの販売をするスタッフから聞き出して知る。つまり、殺人鬼である自分は、わずかな痕跡、例えば右腕のタトゥーの映像しか現場に残していないが、その程度の手がかりから、殺人鬼を探し出そうとして仕掛けられた罠が、このアリーナであり、それが題名の意味、トラップである。

    そうなると、この罠から、殺人鬼がどうやって逃れるようとするのかが、映画の第二のテーマであり、ワクワクさせるお楽しみの部分であることが、観客にも分かる。

    完璧に包囲されたアリーナ、そして、逃亡する殺人鬼の心理を読むことにたけたベテランのプロファイラーの登場、そして、会場を埋め尽くす観客。そこに、歌姫レディー・レイブンと殺人鬼の娘との交流もはさまれて、殺人鬼にとっては絶対絶命のなかで、ドラマがテンポよく、思いがけない展開の連続で進んでいく。

    後半重要な山場の一つは、レディー・レイブンが事件解決への重要な役割を果たすスリリングな場面で、歌姫が緊迫した状況のなかでも冷静さを失なわない顔のアップや、機転を利かせて危機を切り抜ける場面は、印象的につくられているし、この小柄な俳優、サレカ・シャマランによりそって、監督がそのきゃしゃな仕草を十全に演技のレベルに引き上げているのがよく分かる。

    そして、いよいよ映画の本筋の謎解きである、父娘関係や、犯人の異常性とまとわりつく母親コンプレックスなど興味深い心理劇と、最後のすべてが種明かしとして終わって、ようやくエンディングに到達する。

    父親であり殺人鬼役のジョシュ・ハートネットの過不足ない完璧な演技、影の主役ともいえるベテランプロファイラー役のヘイリー・ミルズの重厚な存在感。特に、ミルズの顔を斜め上からふかんして、微笑みを画面に映して、プロファイリングの正しさをそれとなく観客に伝える、シャマラン監督の巧みな演出、さらにアリーナのホール内の熱気と、ホールの外の廊下の冷めた現実感の対比と組み合わせ、すべての細かい計算が合致して観客の感情を堪能させて終演に向かう。ここで強調したいのは、シャマラン監督の特質だと思うのだが、ホラーでありながらも決してグロに向かわない、私のような怖がりも安心できる映画づくりがここでも発揮されている。

    ここまで、書いてしまったので、ちょっと深堀させてもらうと、この映画の発端のなぜアリーナですべてが始まるのかの理由が明かされる、殺人鬼の妻の告白の場面は、映画にとってヤマ場のはずだが、意外に調子がはずれてしまった感がある。肉切ナイフが出てきてホラーの要素たっぷりだが、シャマラン監督も消化しきれていないのか、殺人鬼のセリフの中で妻への怒りを、複数回言わせて強調しようとしている。しかし、なによりもこの場面で印象深いのは、妻役のアリソン・ピルの横顔のアップだ。それまでのにこやかな正面からのアリソン・ピルは、ゆるぎないミドルクラスの家庭の妻役だが、ここでのピルは不安と不信にみちた妻の顔である。
    つくづくシャマラン監督の巧みさに感銘する一つが、人物にたいするカメラワークの使い分けだ。そして、それに応える俳優の層の厚みにもうらやましさを感じる。

    すべてが終わり、映画の出来を堪能し、ふと見終わったあとの静寂にひたると、その時に、そうサレカ・シャマランこそシャマラン監督の娘であり、このシンガーソングライターのために、壮大なアリーナのシーンを用意し、ヒロインとしての機知を見せつける場面を演出したのが、父の監督だったことに思い至るのである。

    そこで、この文章のはじめで、この映画のテーマが父親の娘に対する親子愛だと書いたが、それが、二重の入れ子構造になった、観客をこっそり引き込むトラップであったことに気づく。殺人鬼の父親が愛する娘のためにアリーナのコンサートに行くことによって自分が引っかかるトラップ、それが、映画の大筋であるが、そして、もう一つが、シャマラン監督が自分の娘のために観客に、娘のこれからの大成を願ってしかけたトラップ。映画には隠されたテーマがあって、父としてのシャマラン監督の、実の娘であるサレカ・シャマランへの愛だったという大きな構図に思い至るのだ。

    蛇足を承知で付け加えると、その後、シャマラン監督がインタビューで、この映画を思いついたのは、娘のサレカのパフォーマンスを見たことがきっかけだった、と書かれていたので、私の推測もあながち間違ってはいないと思う。
    そして、シャマラン監督がニンマリするシーンも想像できる。
    それはそれで、観る側の醍醐味としておこう。

    蛇足に蛇足すれば、シャマラン監督の映画の多くは、謎解きの最後の部分で、超常現象やオカルト的なファンタジーに逃げ込むことがある。そうすると、はぐらかされた感じが残ったり、あるいは、逆にそれが好き、という人も出てくる。私の場合は、それがすこし物足りなかったりもした。しかし、この映画は最後まで、現実が舞台であって、謎解きの部分につかわれるプロファイリングも現実味が十分あって巧みな展開だったので、シャマランファンの私にとっては十分すぎるほど満足できる映画だった。

    皆さんはどう思われることだろう。

    つぶやきトマトでも映画評を書いてます
    https://note.com/tubuyakitomato/n/nd3d878d2df93


  • 映画「花嫁はどこへ?」Laapataa Ladies

    映画「花嫁はどこへ?」Laapataa Ladies

    映画『花嫁はどこへ?』

    (C)Aamir Khan Films LLP 2024

    監督 キラン・ラオ Kiran Rao
    公開 2024年