高杉真宙
(C)2025 映画「架空の犬と嘘をつく猫」製作委員会

スケッチブック映画『架空の犬と嘘をつく猫』

ごめん、ちょっと時間がたってしまったので、やや記憶が薄れているなかで書く。でも書かなくてはとの思いが強いので力を振り絞ってみる。

年代ものになっていて、少年時代から、何回かの区切りを経て家族友達それぞれが成長していく様が描かれている。

祖父の死や、祖母の死などが(あまり意味は感じられないが)次のシーンへの展開のきっかけになっていて、思い切りがよく小気味よい切り替えなので見ている側に期待を抱かせる。

各シーンはその中だけみれば、丁寧に描かれている。だが、シーンを重ねていって、到達点が明確になっていくか、と言えばそうではない。だから、スケッチブック映画と形容した。

不全家族のなかで成長していく何人かの子供たちが描かれている。重い問題なので、ないがしろにしない、という監督の思いはつたわる。だから、こどもたちがその時に直面している問題を丁寧に描いている。そういうシーンが積み重なっていく。

主演らしいのは高杉真宙だ。もっと若いときから有望な俳優で、悩みの中で目覚めたり、といった演技にはピッタリの俳優だ。彼のほかにも子役もふくめて有能な俳優、また脇役陣をあつめて、出演者だけみれば、完璧な布陣だ。

なにかが、あまい。それを象徴するのが、祖母の葬式のあと、残された家族がバスのなかで話す長いシーンだ。よく分からない話をワンショットでとっている。どんな台本か分からないが、俳優たちが演技に困った感じが伝わる。

祖母は自由に生きろ、みたいなことを言っていたので、多分そのあたりがこの映画のテーマなのだろう。

繰り返すが、一枚のスケッチにあたる部分は過不足なく描かれて悪くない。そういう作りの映画もありうる。つまり、全体のまとまりはないが(というかあえて欠けている)スケッチは完璧で、スケッチ間の余白に意味をこめる。(そういう「芸術的」な映画を思い描くことはできる)

題名の「架空の犬」は理解できたが、「嘘をつく猫」はいまだになにだったか分からない。その題名のなぞもふくめて、観客も出演者もいつかこういうことだったのだ、と分かるかもしれない、それなりのつくりの映画だった。