
面目躍如!不死身の『ワーキングマン』
ステイサムの映画は好きでずっと見ているが、なかでもこれは大傑作といえるのではないだろうか。
随所に(映画製作の)職人技がひかって、あとから思い返しても感心する。
映画の大筋は、マフィアの大親分がいて、親分がいて、子分がいて、子子分がいて、といった悪の構造があって下から叩き潰すというお約束ごとだが、今回は本筋のコカイン密売の枝葉として少女の人身売買があって、という分岐があって、その少女を助け出すという使命を設定している。
(ここまで書いて、やや失敗したと感じる。ここまで読んだ人は、これから見る映画の楽しみを削いでしまったかもしれない。でもカンベンしてね)
ツッコミどころ(いい意味で)は随所にある。悪役どころの俳優をよくこれまで揃えたなと感心した。どの悪役もキチンと人格設定されている。しかも、適当なころあいでお役御免で引っ込むと(始末される)という仕掛け。なかでも準悪役として(娘の親権を争う)義理の父親を敵役に設定しているのが小憎らしい(この義理の父は最後のほうでひどい目にあうが死ぬことはなく主人公と和解する)。
悪の根源をたどる道筋もヒントの出し方に割り切りと工夫があって映画職人の面目躍如といったところ(もちろん都合よい飛躍もあるがこれは映画ならではの特権)。
人身売買の対象となってしまったヒロインの役作りも目新しい。抜擢されたアリアンヌ・リバスは今後活躍するのではないだろうか(何人か同じような脇役出身で活躍した女優を目撃した)。
細かい気配り(というか計算)としては、悪の比重にしたがった殺され方というのもあるらしいと感じた。映画としては当然だが、、。侍映画だと、やたら長い対決が用意されていたりする。
逆にめりはりが顕著で、ハリボテのサイコがあっという間にやられる、という演出はどこかで(それはインディー・ジョーンズだが)見たが、効果は抜群。でも、やはり目玉の対決のシーンが必要と(製作者が)感じたようで、そのために(多分)わざわざ、傍系のライダーのたまり場のバーの親分を最後の方にもってきている。
そのライダーたちが大挙して襲ってくるが、その数の割には、ステイサムが始末した数が少なすぎる(勘定が合わない)のもこの映画の特権と許容される(始末する数をいちいち数えていた映画が、前回の「ジョン・ウィック」だったが、さすがに飽きてしまって、私は席をたってしまったくらいだった。ステイサムチームがこれを教訓にしたとすれば、まったく私好みということになって、うれしい!)
そんなこんなで工夫が随所にある映画だが、悪の本筋と傍系があって、今回のお楽しみは傍系の分部ですよと映画の中で(さりげなく)伝えているのが、映画全体としての整合性を保って、見終わった後のさっぱり感を強調していたのも特筆していい部分ではないかと思った。
これは蛇足だが(本当は書かなくてもよい)、ステイサムのアップがあってかなりのしわが目立つ。そのせいかステイサムは悪の巣窟に入るのに今回は毎回玄関からはいっている(二階の窓から侵入したりの無駄なスタントはしていない)(笑い)。
いつまでステイサムが活躍できるのか心配だが、これから挑むのはハリウッドの悪の掟、老いた俳優ははじかれるという暗黙律かもしれない。次がどんな映画になるのか楽しみだが、それがかなわなければ、アリアンヌ・リバスを発掘したことを多としよう。