映画の方程式 『TOKYOタクシー』

山田洋次監督作品は「寅さん」シリーズだけでも約50本、その他も含めれば数十の作品を観、また楽しませてもらったのでまずは敬意を払いたい。

個人的な感慨も付け加えさせてもらうと、松竹の撮影スタジオで寅さんの撮影セットを見学したことがあって、ちょうど夕暮れのオレンジ色の看板絵が奥にあって、しもた屋の薄暗い一隅に、(その時は知らなかったが)すでに体調が悪い渥美清がうつむいて(役に集中するかのように)じっと身じろぎもせずに座っていたのが印象に残っている。

セットは人間の目から見ると、生気がなくしかもそこかしこにほつれも見えて埃も被っているようで、まったくいい所がないが、ひとたび照明があたりカメラのフィルムに焼き付けられて、真っ暗な劇場のスクリーンに強力な光源で映し出されると、俄然いきいきとした世界を現出させて観客を楽しませる。

山田洋次監督はそんな映画のマジックをいやというほど経験しているので凝縮した監督の技をこれぞという所に繰り出すことができる。

さて本題の映画『TOKYOタクシー』だが、原作となった映画『パリタクシー』(原題Une belle course2023年公開)の面白さの余韻が薄れていない人もいるとおもう。

(C)2022 – UNE HIRONDELLE PRODUCTIONS, PATHE FILMS, ARTÉMIS PRODUCTIONS, TF1 FILMS PRODUCTION

パリの街なかをあちこちたどる美しく楽しい話で、活き活きとした現実と、同時に終末へ向かっての道行に、山田洋次にとってはひとつ想うところがあっての新作なのかもしれない。

タクシーの出発点が柴又帝釈天であることを思えば、倍賞千恵子の「高野すみれ」は実は「さくら」の分身であって、夭折した寅さん役の渥美清の分まで老いと終末を描いた、ともとれなくもない。

(C)2025映画「TOKYOタクシー」製作委員会

山田洋次が得意なのは家族を描くことだ。「くるまや」に代わってここでは木村拓哉演じる個人タクシーの一家が登場する。

一番初めの家族のシーンで、妻役の優香が二階に声をかけると中学生の娘が降りてきて、朝食をとる木村拓哉の背後から背中に手を乗せる場面がある。階段、食事、家族、そして紛れもなく寅さん一家の空気が一瞬流れる。

その後の流れは原作に沿っているわけだが、作風は全く違っている。『パリタクシー』では騒々しい車の渋滞、あるいは閑散とした住宅街、混み合ったレストランでトイレを借りるシーン、しょっちゅう悪態をつく運転手など、そここにパリの息吹を感じさせる映像となっている。

だが『TOKYOタクシー』では東京の活気がまったく描かれていない。物語のメインはタクシーの中の二人、倍賞千恵子と木村拓哉の会話だが、時折静かな観光映画のように浅草、上野、渋谷など風景が挿入されていく。唯一東京らしいと言えば、東京大空襲で火の粉をあびながら言問橋で父と生き別れになったくだりだろう。

二人はセットの中の会話のやり取りをし、カメラが限られた位置でアングルを変える。まさに山田監督が映画人として身に付けた技法がぶれることなく踏襲されている。

(C)2025映画「TOKYOタクシー」製作委員会

ある意味原作映画から本筋のみを採用して猥雑物を取り除いたともいえるし、シナリオの文字情報以下でもなく以上でもない映像をつくったともいえる。

このように骨格をつくりあげたのは山田監督の計算と言えるだろう。

都内の思い出をたどる旅が終わると、「高野すみれ」の過去のあやまちの回想が会話の合間に挿入される。

(C)2025映画「TOKYOタクシー」製作委員会

それは熱愛と暴力の物語で、これまで山田監督が描くことがなかった世界だ。夫の暴力に対する復讐の罪で高野すみれは服役する過去が明らかになる。これも原作映画よりは意味付けが軽く描かれている。

倍賞千恵子は可もなく不可もなく「高野すみれ」を演じていたが、哀愁もほしかった。
木村拓哉は娘の学費のことで頭がいっぱいの役柄を演じなければならなかったが、苦悩とか心配が内面化されずに残念。

(C)2025映画「TOKYOタクシー」製作委員会

その点木村の妻役の優香は、シーンごとの台本指示に忠実でかつ出色の出来だった。観客の視線を感じさせない演技が逆に観客の気持ちを引き込むのに成功しているし、台本で要求される役割をきっちり果たしていたとおもう。

こうして物語は型どおりにすすんでいって、高野すみれの突然の死を迎える。そして意外な結末を迎える。

高野すみれからの贈り物をタクシー運転手一家がうけとるシーンだが、感動的な結末として成功したとおもう。このシーンは作りこまれたセットで時間も十分にかけられている。山田洋二監督ならでは得心のシーンだったのではないだろうか。

(C)2025映画「TOKYOタクシー」製作委員会

今ふりかえってみて、『TOKYOタクシー』が成功だったのかどうか分からない。山田監督の映画の方程式が随所に仕掛けられているのが分かる。

逆説的な言い方だが、映画の可能性とか力を感じさせるものではあった。そして『パリタクシー』を「Une belle course」として観たくなった。

(by みとまと in note)